生き方に正解はない。

生きること。あなたの誇りです。

願いは神様に叶えて貰うものではない、自分で掴むのだ

こんにちわ、晴美です。

主人が或る試験を受けた。
昨年は試験前に、都内の有名神社で絵馬を書き、お守りを買ってきた。しかし一次試験で不合格だった。
今年は何処の神社にも行かなかった。一次に合格、いまは二次試験に向けて部屋に籠り、一生懸命勉強している。

同時期に共感出来るブログを読んだ。

blog.asimino.com


あしみのしゅなさん(以下あしみのさん)です。彼のブログを読んでツイッターに載せたのをきっかけに知り合いました。
その後自分もブログを始め、分からないことを沢山ご教示いただいてます。あしみのさん、いつもありがとうm(_ _)m

そりゃー、お祈りして試験に合格出来たらいいよね。願い事書いてお守り持って用が済めば誰でもするよね。ホントに願いを叶えたいならひたすら努力する。神様に祈ること暇もなく。
それにお守りを持たせたりしたら逆にプレッシャーになるかもしれない。去年はわたしも失敗したな。今日も主人は勉強している。誰に祈ることなく、ただひたすらに。

むかしを思い出した。
合格祈願に有名神社へお詣りに行くのは、何故か避けて通れなかった。高校3年のころ、学校では何処の神社が受かるとかお守りは何色がいいとか、まことしやかに教室内で話題になっていた。そして友人と神社へ行き、お賽銭を入れてお願いし、社務所でお守りを買う。受験が終わり、進路が決まればその神社にお礼まいりに出向く。随分律儀な話だが、それが当たり前だと思っていた。

しかし受験生全員が行きたい大学や会社に行けるはずもない、試験に合格出来るはずもない。それなのに寄ってたかって神社に押し寄せ、お詣りしてお守りやご祈祷を求める。これでは祀られている菅原道真公も迷惑だろう。
神様には幾らでも分霊(分身)がいるから大丈夫との説があるが、そこはどうしても信じられない。
たぶん人間が作った説だし、そんなに数がいるならもう少し良い世の中でもいいはずだ。

数えで33歳は女性の厄年。
厄年の年齢設定は昔から変わらないようだ。根拠はないが、『この年頃は身体に不調を来しやすいから気をつけなさい』の意味らしい。男性の数え42もそう。
気をつけていても厄年に不運があるひともあれば、オーバーヒートな生活でも何もないひともいる。気にし過ぎは却って良くない。神様だって忙しいから、人間の年や日々の行いを覚えてらんないだろう。お祈りは毎日神職や僧侶の方がされている。
近年、神社仏閣、教会には観光メインで行っている。お詣りすれば風格ある建物を眺め、写真を撮って自然にパワーを貰っている。これ以上は望まない、それで充分じゃないの。